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狼なんか怖くない?「石野真子」のアイドル時代がいい!

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狼なんか怖くない?「石野真子」のアイドル時代がいい!

石野真子 - Wikipedia

1月26日、石野は『スター誕生!』の予備審査と予選会を勝ち進み、本選の大阪大会(豊中市民会館、テレビ放送日1977年2月13日)に出場。ダニエル・ビダルの『天使のらくがき』を歌った。審査発表では会場の一般審査員からの得点だけで合格点を超えてしまい、阿久悠ら専門審査員を驚かせる[7]。合格ラインは250点((5人出場時の大会では300点)で、この日の石野の最終得点は530点になり1,000点の過半数を独占した結果になった[4]。しかし、最終目標は後日合格者が集まって開催される「決戦大会」に出場して芸能事務所からのスカウトを受けることであり、ここでスカウトされなければ「歌が上手な一般人」で終わる[8]。なお、この大阪大会に出場した際、バーニングプロダクションのスカウト担当者から「もし決戦大会でダメでもうちに来ませんか、責任を持って歌手に育てますから」と声をかけられていた[4]。
3月23日、『スター誕生!』第20回決戦大会に出場 (会場:東京・後楽園ホール、放送日: 1977年4月3日) 。父親から「これに落ちたら、もうオーディション番組を受けたいなんて気持ちを起こすんじゃないぞ」と念を押されて挑戦した。再びダニエル・ビダルの『天使のらくがき』を歌う。「11番、石野真子、一所懸命頑張りました、どうぞよろしくお願いします!」と挨拶した石野に対し、スカウト意向の芸能事務所プラカードが16社挙がる。スカウト希望した事務所には、ビクター音楽産業、バーニングプロダクション、田辺エージェンシー、第一プロダクション、キングレコード、徳間音楽工業、ワーナーパイオニア、日本コロムビア、長良音楽事務所 (名称は放送当時) などがあった。尚、同決戦大会の合格者には石野の他、翌1978年の同期歌手デビューの渋谷哲平がいた[4][9]。
石野本人の『スター誕生!』審査時の書類が残されている。そこには「テレビに出演するにあたってのあなたの抱負は?」との質問があり、「新人賞をとりたい、誰からも愛されたい」との回答が記されている[9]。
『スター誕生!』決戦大会の勝因について尋ねられた石野は、「選曲が自分に合っていた事と、自分で勝手に考えた振り付けが歌に合っていた事が良かった(のではないか)」と後にコメントしている[4]。
デビュー前からファンが付いていたと言われているが、実際に『スター誕生!』第20回決戦大会(1977年4月3日)のスカウト発表場面のDVD映像によると、素人の石野に対して早くも会場の男性ファンから「真子ちゃーん」との声援が飛んでいる事が確認できる。
『スター誕生!』の合格を経て、石野の所属事務所はバーニングプロダクションに決まる。事務所選定時のエピソードについて後の取材で石野は、「何かホントに素人判断なのですが、バーニングには先輩に郷ひろみさんがいらっしゃるから大丈夫じゃないか、と思ったんです。もちろん両親や周りのスタッフの方とも相談して決めましたが、当時の事務所の専務さんから「当社はあなたを将来こういう風にしたい」という温かいお手紙をいただき、ここだったら安心、みたいな気がしました。」 (2009年4月、YOMIURI ONLINE)
その後、約1年間をかけてデビューへの準備を行う。父親の希望もあってデビュー曲が出来上がるまでは芦屋の実家で歌のレッスンに励み、高校2年の夏休み1ヶ月間は東京へ出向いて日本テレビ音楽学院に通った[4]。デビュー曲の作曲を担当する吉田拓郎と東京六本木のバーで初対面する。この時の「石野真子」の印象を、吉田は後の著書の中で「本当にこの人デビューするんですか?と思うほど太っていたが、不思議な芸能界は3ヶ月後 (レコーディングの時) には見違えるほど変身させて連れて来た」[10]、と記している。

出典 http://ja.wikipedia.org

石野真子 / 狼なんか怖くない

石野真子

「プリティー・プリティー」石野真子

石野真子 ジュリーがライバル [歌詞]

【石野真子】 カラオケ人気曲ランキング BEST5

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